山辺の道


今回は箸墓古墳を見るために一時的に山辺の道は外れている。すぐ近くと思っていた箸墓古墳までの距離が予想以上に遠く、この上り下りがかなり体に堪えた。それでもあの雄大な箸墓古墳はそれだけの苦労をしても見る価値は十分あった。
2014.5.10〜11
日本最古の官道と言われている桜井から奈良に続く山辺の道を歩いてみたいと仲間5人で出かけ、桜井から天理まで2日間掛けて歩いてみた。
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この街道は「日本書紀」にその名が残る歴史のある街道で、その道沿いには、今も記紀や万葉集ゆかりの地名や伝説が残り、数多くの史跡にも出遭え、訪れる人を「古代ロマンの世界」へと誘う古代ロマンチック街道ともいえる古道なのだ。この道の標高が60〜70メートル位で一定しているために、6000年位前までは大和盆地は巨大な淡水湖でこの縁に沿って道ができた、とする説もあるようだ。また、この説を裏付けるように大和盆地のほぼ中心となる地からは全く遺跡は見つかっていない。そう聞けばいかにもありそうな話に聞こえるが、どうやら巨大な淡水湖の存在は無かったようだ。大和盆地が湿地帯だった事から道はこれを避けて東の山裾に作られたと言うのが正解らしい。
古代大和の人々はこの大和盆地を囲む山々を青い垣根に見立て「青垣」と呼び、万葉集などにもこれを歌ったものは多い。
山裾を縫うように伸びている街道であるので微妙なアップダウンの連続となる。最初のうちはあまり感じもしないが午後になるとこのアップダウンがボディーブローのように効いてくる。
あーー、足が重い.....
しかしこの景色はいい。まさに古墳の間を縫って進む古代の街道だ。桜井市でも街道の整備にはかなり力を入れているようで標識なども細かく設置されていてまずコースから外れる事も無いだろう。歩いていて一番心配になるのはトイレだろうが、こちらの方も心配なく歩けるようになっている。途中で休憩の為に入った喫茶店のおかーさんが言うにはゴールデンウィークの時は歩く人で渋滞する程の人出になるという。しかし、夏の奈良を歩く人はほとんどおらず、猫一匹歩いていないと言っていた。どうやら夏の大和盆地の暑さは半端ではなさそうだ。
2日間掛け桜井から天理まで来て取りあえずのゴールとしたが、次は天理から北へ奈良までの北半分を歩いてみたいと思う。やはり車に会わずに済む街道歩きはいいものだ。